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戦国合戦入門

今回ご紹介するのは戦国時代の本です。

戦国合戦入門―軍事学の視点から徹底分析 (歴史群像シリーズ 歴史群像アーカイブ VOL. 6)戦国合戦入門―軍事学の視点から徹底分析 (歴史群像シリーズ 歴史群像アーカイブ VOL. 6)
(2008/12)
不明

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 歴史群像アーカイブシリーズより第6弾「戦国合戦入門」です。この歴史群像アーカイブは、過去歴史群像に掲載された記事をテーマ毎に再構成したものです。そういったものは今まで「歴史群像シリーズ」や「新・歴史群像シリーズ」があったわけですが、それらは大抵一人の武将や、有名な合戦などを中心とした総合的な内容だったのに対し、「アーカイブ」はより的を絞ったものとなっています。
 「戦国合戦入門」は文字通り戦国時代の合戦における軍勢の構成、戦闘方法がテーマとなっており、記事は具体的で、戦国史関連の記事にありがちな著者個人の特定武将に対する個人的思い入れは極力排されています。
 さてこの本には20程の記事があるわけですが、その中でも私が目を見張ったのは久保田正志氏の「戦国槍隊戦術」と河合秀朗氏の「戦国鉄砲隊、前へ!」の記事です。前者は武士の用いた「持槍」と足軽の「数槍」も用途に着目したもので、特に戦国後期に槍足軽の減少と役割の変化についての考察は目からウロコといったものでした。
戦国時代の戦闘方法というと、まず鉄砲と弓矢で攻撃を加え、次に槍足軽の横隊が叩き合い、最終的に武士が突撃して雌雄を決するというのが有名な話です。そこに久保田氏は、戦国時代後期には槍足軽同士の戦闘は行われなくなり、火縄銃での銃撃戦→武士の突撃へと戦闘方法が変化した、と付け加えました。そして槍足軽は陣の後方へと移動して、その役割は指揮官の防御などの後衛的な任務になったというのです。確かに江戸時代中頃に成立した「雑兵物語」にも侍衆の戦いが終わったら槍足軽の出番という記述が見受けられます。その理由としては鉄砲の増加があげられますが、それと同時に槍足軽が戦力として頼りなかったから、ともいえます。同時代のヨーロッパでは団結心の強いスイス傭兵が古代ギリシアのファランクスの如き陣形を組んで敵陣を粉砕したわけなのですが、日本の槍兵にそのような芸当はできませんでした。彼ら雑兵の戦意はそう高くなく、せいぜい縦深が2、3列の横隊では強い衝力を発揮できません。そして何より、敵陣に突入し、粉砕するという危険で名誉ある任務は、武士のもの出なければなりませんでした。結局のところ、多くの大名たちの努力に関わらず、戦国の軍隊は封建制の軍隊であり、集団の勝利より個人の名誉が追求されたのです。戦後後期の槍足軽の変化は戦国時代の軍隊の限界を如実に示しています。
 次に河合氏の「戦国鉄砲隊、前へ!」ですが、これは戦国時代に置ける鉄砲の戦力化とそれに伴う陣形の変化を解説しています。戦国時代の軍隊は、現在の軍隊と違い、有力武将の下に地方の少領主の小規模な軍勢が寄り集まって構成されていました。そしていざ戦闘という段になっても、鉄砲足軽達は直属の少領主の指揮の下戦ったのです。つまり鉄砲出現初期の段階では鉄砲隊はせいぜいが数人程度の規模で、効果的な一斉射撃は不可能だったというのです。そこで大名達は鉄砲足軽たちの集中化に乗り出しました。少領主たちの指揮から鉄砲を引き離して、大規模な鉄砲隊に統合する。それはおそらくは大名の権限が強い旗本において行われ、次第に配下の武将たちに広まっていったと考えられます。戦国時代の鉄砲の利用は、ただ単に数が増えたというだけでなく、このように運用する体制側にも大きな変化があったのです。ただこの河合氏の記事ですが参考となる文献が示されておらず。頭から鵜呑みにはできません。ただ戦国時代の軍隊の構成と変化を考える上で、常に頭に入れておくべき重要な意見であると思います。
 この他にも「火縄銃のつくり方」「戦国火薬孝」など興味深い記事が満載で、戦国時代の「戦闘方法」に興味のある方には大変有意義な本であると思います。ただ(歴史群像にありがちなことに)なかには信用ならない記事もありますのでそこは読者の皆さんの懸命な判断力に期待するところです。
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