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ヴォストーク1号

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 来るコミティア101にて私の所属する武蔵野美術大学イラスト研究会が合同誌を発行します。今回制作したのは、その合同誌に投稿した「ヴォストーク1号」の図解イラストです。
 今から半世紀前、ソ連の宇宙船がガガーリン空軍少佐を乗せ、世界初となる有人宇宙飛行に出発しました。宇宙船は大気圏外の周回軌道を一周したあと無事に地球へと帰還し、人類の宇宙進出の一歩目となったのです。このおおいな偉業を成し遂げたのが「ヴォストーク1号」でした。この宇宙船は大気圏への再突入用耐熱カプセルと、逆噴射・姿勢制御用ロケットで構成されていて、再突入の際はその2つが分離し、カプセルだけが地球に帰還する仕組みになっていました。面白いのが大気圏に突入したあと、飛行士がカプセルに入った状態で着陸するのではなく、高度7,000mほどのところで戦闘機のように射出座席でパイロットが脱出し、そのままパイロットが自分自身のパラシュートで着陸する、という仕組みになっていたことです。当時の国際的な規定では、有人宇宙船と認定されるにはパイロットが宇宙船にのったまま着陸しなければならないことになっており、しばらくの間この事実は隠蔽されてきました。
 さて、ボストーク1号の成功からわずか数週間後、アメリカのマーキュリーが宇宙飛行に成功しました。ただしそれはヴォストークの場合と違い弾道飛行で、周回飛行はその9ヶ月後となりました。ソ連の場合いきなり周回飛行、しかもガガーリンの飛行前に失敗が相次いでおり、設計士は「成功率は50%程度」と考えていたそうです。打ち上げ前にチンパンジーで実験を重ねて万全を期したアメリカとは対照的で、この点の成果優先主義がソ連勝利の秘訣と言えるのかもしれません。
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Bf109

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 ドイツ空軍第50戦闘飛行隊司令ヘルマン・グラーフ少佐のメッサーシュミットBf109です。機首の赤い塗装はエクスペルテンの象徴で、グラーフ少佐は史上初めて200機撃墜を果たしたエース中のエースでした。
 さて、じつは先日フランスのロマン・ユゴー氏の手によるバンド・デシネ『雲の彼方』と『ル・グラン・デューク』に感銘を受けまして早速まねしてみたのです。氏の著作に登場する飛行機達は実に繊細緻密に描かれていて、かつ構図も大胆で迫力があり、「自分もこんな飛行機が描きたい!」と強く思わせてくれます。いつもはラフな感じの図解イラストばっかり描いているのでたまにはこういうきっちりしたイラストを描くのは非常にいい刺激になりました。
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Ju252

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 Ju252は第二次大戦時にごく少数が生産されたドイツ空軍の輸送機です。本機は「ユモおばさん」ことJu52の後継機として開発され、三発機というおおまかなコンセプトはそのままに、降着装置を引き込み式にするなど大幅な近代化が図られました。特に注目すべきなのが、世界で初めて装備された「トラポクラッペ」と呼ばれる貨物積み込み用のローディングランプで、現在ほぼすべての軍用輸送機がこれを備えていることからも本機の設計の先進性が伺えるでしょう。しかし残念なことに、Ju252はその近代的な設計が災いして大変高価な機体になってしまいました。特にユモ211といった高性能のエンジンを輸送機に回す余裕はドイツ空軍にはなく、首脳部はJu252の設計を簡略化した廉価版の機体の開発を指示し、Ju252の生産はたった15機で打ち切られたのです。
 とまあ、その悲劇的な来歴といい、へんてこなシルエットといい、なんともマニア好みな機体なのでした。特に私が気に入っているのは機首のデザインで、なんだか「本来双発機だったのに、機首に無理矢理エンジンを増設した」ってな感じがたまりません。あとローディングランプを下ろすとそのまま尾部が持ち上がって機体が水平になるというのもなんとも強引でポイントが高いところでしょう。
 それはそうと廉価版のJu352なのですがネットで資料をあさってたところ、チェコのウィングマークと赤い星とつけた、おそらく民間機と思しき塗装の機体が映った写真を発見しました。多分鹵獲された機体を戦後使ったのでしょうが、詳しい事は不明。どなたか詳しい方がいたら教えて下さい。
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戦艦ポチョムキン

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 ずいぶん昔に描いた『博士の異常な愛情』に続くミリオタ視点映画コラム第二弾『戦艦ポチョムキン』です。1925年に製作されたサイレント映画で、「モンタージュ理論」と呼ばれる先進的な編集技法は後の映画に多大な影響を与えました。
 さて映画の舞台となる艦上ですが、撮影当時ポチョムキン(厳密にいうと戦艦ではなく艦隊装甲艦)は現存してはいたのですが、内戦中破壊されほぼ廃艦同然となっていたので、替わりに陸上に繋留されていた戦艦十二使徒が使われました。で、この戦艦十二使徒ですが、写真を見てみるとどうも映画と細部が違います。一番分かり易いのは砲塔の形状で、実物はドーム状をしていますが、映画では円筒形です。この砲塔、映画のほうをよく見てみると、どうもセット臭いというか、装甲の重量感を感じません。おそらく当時十二使徒の砲塔は取り外されていて、替わりにポチョムキンの形状に合わせた砲塔のセットが取り付けられたのでしょう。その証拠に、ポチョムキンが陸上を砲撃するシーンで、側砲が旋回するカットはあるのに主砲はまったく動きません。なんだか『明治天皇と日露大戦争』の戦艦三笠みたいですね。さらに興味深いのが艦橋で、十二使徒は砲塔の後に円盤状の露天艦橋がある設計なのに、映画ではポチョムキンそっくりの屋根付き艦橋になっています。映画の撮影は三ヶ月の突貫作業だったそうですが、このあたりにエイゼンシュテイン監督のこだわりを感じます。それとも当時ポチョムキンのデザインってロシア国民には常識だったのか?
 また軍事オタクとして見逃してはならないのが、映画のクライマックスでポチョムキンが黒海艦隊を迎え撃つべく戦闘準備を整えるシーン。側方用の揚弾エレベーターと、弾薬を運ぶためのレールが登場します。そのかっこよさといったら初めて見た時おもわず「うおおっ!?」と声が出てしまったほどです。陸に繋留されていた十二使徒のエレベーターが生きているとは思えないので、これが撮られたのは前述の十二使徒ではなく一隻撮影に使われた練習巡洋艦コミンテルンだと思います。
 しかしこうもふんだんに実物の前弩級艦の映像が出てくる映像作品ってそうそうないでしょうね。ポチョムキンの反乱が起こったのは日本海海戦とほぼ同時期ですので、当時の戦艦三笠の艦上もこんな感じだったのかなあと思うとちょっと感慨深いですね。というわけで、本作品はやれ革命の意義だのプロパガンダだのという以前にマニア垂涎の軍艦映画ですので、ぜひ画面の前の軍事オタクの方々はご覧になってみて下さい。とうの昔にパブリックドメインになっているので、ネットで簡単に前編が見られますよ!
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 1世紀中期から後期にかけてのローマ軍団兵です。構図や軍装は『THE ROMAN LEGIONS Recreated in COLOUR PHOTOGRAPHS』からほとんどそのままもってきました。
 さて、わたしはいつも紙に描いた線をスキャナーで取り込んでフォトショップで彩色しているのですが、今回は色々と今まで使ってなかった手法を取り入れました。まず線画を乗算レイヤーにして、その下に肌、服、鎧と部分毎にレイヤー分けして色をお言いていくのですが、鎧の鉄の質感を出すため、鎧の色レイヤーの上から、鉄のテクスチャー写真をオーバーレイで重ねました。鎧全面にテクスチャーが乗っていると少しくどいので、消しゴムで要所以外は消しておきます。さらに乗算レイヤーで青みをところどころ加えました。最後に線画レイヤーの上から通常レイヤーを重ねてフチのハイライトや鎧の傷を書き込んでいきました。あと盾のマークですが、いつもなら盾に直接描くのですが、別にラインツールを駆使して制作しておいたものを、変形盾の丸みに合わせて変形させて置いています。
 こういった手法は今まではなんかお手軽な気がして使ってなかったのですが、いざやってみると実にいい感じ(変節)。こう、絵のレベルが一つステップアップしたような気がします。やっぱりどんどん新しい手法を試していかないと絵が硬直化してしまいますね。
 これからしばらくは新手法接期間というわけで、もっと精力的に絵を描いていこうと思います。
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